東京都台東区を拠点に活動しております大人から始める気軽なピアノレッスン、ピアノ21です。現在、今からピアノを習ってみたいという大人の生徒さん(男・女)募集しております。
講師紹介:男性 30代 既婚
最終学歴:アメリカ合衆国ウィスコンシン州立マディソン校
音楽大学院ピアノ演奏科修士課程終了(Master of Music)
※アメリカ在住歴10年弱
場所:講師宅(新築マンション内)、都内貸しスタジオ、
※生徒宅へ出張可(交通費別途)
レッスン時間: 30分間又は45分間/月2回〜4回
レッスン内容: コース別 A〜D
以下の項目から希望項目を選択:
a.演奏テクニック(音階奏法、etc.)
b.初見練習法
c.お好きな課題曲
d.練習曲
e.音楽理論
f.歴史
g.演奏会、リサイタル等への準備(表現力、曲の仕上げ)
h.その他
料金(月謝): 6000円〜14000円 (目安)
※自宅ではフレンチブルドッグ・女の子を飼っております。
犬アレルギーの方はご遠慮させて頂きます。
以下 活動PR:
音楽とは自己の自己ゆえたる表現手段だと思うんだよね。
あなたがあなたである以上あなたの表現方法があるはず。
技術だけじゃない、心に響く表現がね。
でも、現実は巷にあふれかえっているピアノの指導方法とは
手の形は・・・親指は・・・姿勢は・・・などの
形式から入ることが暗黙の了解とされていない?
教室はいつの間にかブランド化し、生徒の教室の選択基準といえば
商品を購入する感覚の延長線という感じでは?
教室側といえば、せいぜい独自のメソッド
(ほとんどは従来の形式重視型はそのままで)
で他教室との差別化を図るのが精一杯なのではないでしょうか。
その為に月々のお月謝を払い、毎週似通った練習曲の繰り返し。。。
生徒はレッスンの内容・教授方法に関しては有無を言うこともできず
教室側に半強制的に敷かれたレッスンカリキュラムにしっかり組み込まれ
毎週与えられる宿題、課題曲を順序良くこなすことが求められる。
しかし、音楽ってそんな塾みたいなものだったっけ?
かたっ苦しいものだったっけ?
普段、口ずさんでるあの曲、この曲、、、
あの曲弾きたいなぁ、いつかあの人みたいに弾けたらナァ。。。
そう。音楽ってもっと身近で、とてもプライベート(個人的なもの)で
何よりも、その場で生まれるような自然で、自発的なものだよね。
私が理想に求めるレッスンとは大学院まで行われている歴史的、伝統的
な知見の蓄積として評価できるピアノ奏法、音楽理論の教育方法は
土台とするものの、これまで当たり前と思われ続けてきた音楽教育の
視点を変えていくもの。
従来の音楽教育における形式又は理論とは講師の体験・信念等を
織り交ぜた、半ば「音楽とはこういうもので、だから。。。」の教える側の
主観が前提にされ、更には、時を経ていつの間にか暗黙の教育体系として
出来上がった 講師=音楽体験 というドグマの下に成り立っている
指導・教育が根底にあります。
そして、実はそれらは以下の考え方から派生しているのです。
・何処でどれだけの音楽的権威(教授)、誰から理論を学んだ、
・何処でどれだけの音楽的権威(教授)、誰から演奏技術を教わった、
・海外の権威(よくあるのが有名演奏家など)から教えを受けたことがある、etc.
心当たりのある方も少なからずいるでしょ?
つまり、どの教授に教わったかで教わった生徒の価値が決まるという
考え方。直接的に言えば、あなたの先生が誰それだから、
あなたは今こうなんだよ。って考え方。
でも、あなたにしてみればどの教授から教わったって、あなたの音楽に
感じるもの、音楽に求めるもの、etcってまた別問題でしょ?
それって、東大、慶応だから、あなたは今こうで、将来何々だ、etc.
って言うのと同じでしょ?しかも、それは本人が感じてる自分という人間や、
人生で求める成功や、感じたい幸せとはまた別問題だよね?
(言いたいことわかって頂けます?ここは非常に大事。
何故なら、音楽とは何なのかを解き明かすことに繋がるから。
もちろん、あなたにとってね。 ^^)
とりあえず、社会的風潮としてそうだから、お隣のお子さんがそうだから、
昔からそうだから、etc.って考え方ですよね。
25年前と現在が同じ社会価値ならまだいいかもしれません。
しかし、その考え方は不必要に人間を古ぼけた価値や考え方、
ひいては社会という現実をある一定の見方で観るように人間を縛り付けます。
気がついたとき、他人の人生を歩んでいたなんて、、、ゾッとしませんか?
音楽の世界といえども事態は深刻かつ緊急の変革を求められています。
「25年前」の教育視点でまかり通っているのが現実。
「前にもOOOの音楽教室通ってたけど、なんか途中でやめちゃって、、、」
「なんか、思い描いてたのと違ってて、、、」
「やっぱり、ピアノって大人からっていうのは難しいんじゃないかなぁ、、、」
というあなたは、おそらく「固い」「単調な」「面白みに欠ける」レッスンの
経験者なのでしょう。
そもそも、ピアノレッスンとはピアノを「お稽古」事として学ぶに限られません。
音楽の奥深さ、「表現方法」そのものの構築と探求、など等。
ピアノを「通じて」学ぶことは多く存在し、レッスン教育においても非常に
大切な要素となっているのです。ましてや、大人から始められる方々ならば
尚更「お稽古」的要素というよりは知的探求、趣味、楽しみ、等を
持つということの方が優先されるのではないでしょうか?
世の中にはありとあらゆる価値を謳い
華々しい略歴、色鮮やかな資格を掲げた音楽教師の方々が
日々教鞭をとっておられる音楽教室が数多く存在し、
音楽を学べる「機会」は有り余っているにも関わらず、
肝心な音楽教育そのものの考え方が変わっていない。
私ならば学ぶ側が常に探求できる教育を施します。
何を???とお思いでしょう。
あくまで例としてですが:
「何故(何をしたくて)」xxxはこの曲を書いたのか?
「何故」ここはフォルテ(ピアノ、etc)なのか?
「何故」このペダルの仕方なのか?
「どうすれば」こういった(思い描いている)感じで弾けるのか?
技術的な面からみるなら、
「何故」ある一定の指(手首、ひじ、肩)の使い方は妥当(使いやすい)
なのか?この練習曲は「何の練習」なのか?
そして、ホントにその「練習」になってるか?
「どうすれば(どんな指の練習で)」この箇所をスムーズに弾けるようになれるか?
要するに「音楽って私にとってどういう意味(何)なのか」って考えながら
ピアノを学ぶこと。それは社会に生きながら「私にとって幸せってどういう
意味(何)なのか」って考えながら働くのと同義。
しかも、これら学ぶ側からの問い(探求)は同時にIQを高める練習方法にも
なるのご存知でした?えっ?IQって生得のものなんじゃなかったの?
と思ったかもしれませんね。IQを抽象空間における身体性を把握する能力と
定義するならば、練習次第で向上します。つまり、目の前の事象、
この場合手で触れない音楽という出来事(=抽象空間)に疑問を投げかけ、
それに対する自分なりの解を導き出すことで音楽空間の身体性を
感じとっている。つまり、いつの間にかIQを向上させるトレーニングをしている
という理論です。
尚、この理論に関しては脳科学の分野において現在も多くの議論と研究結果が出されているところですのでご興味のある方は諸本に目を通されることをお薦め致します。
私のピアノレッスンでは上記の「探求」に加えて更に
あなたが音楽を自由に表現できるヒントとして楽譜上の作曲家の残した
記号、表記の解釈方法、(※)共感覚を利用した感受性の向上方法などの
ツールも紹介したいと思います。
※外界からの刺激(例えば視覚情報)を他の感覚モード(例えば触覚情報として)で変換して感受する能力。
そして、私のゴールは常にあなたの求める音楽表現をサポートすること。
私のあなたへの問いは、「(あなたにとって)音楽って何?」です。
そういった意味合いでは私は自らの主観を通した教えを施す
インストラクター(経験者)ではなくあなたの主観を通すことであなたの
理解にたどり着くことをゴールとする
コーチ(支援者)という呼び名が適切なのでしょうね。
私の師がレッスンごとによく私にいった言葉があります:
「自分の感性を信じるんだよ。」
そう、音楽の音楽たる息吹きの根幹にはあなたがいるということ。
他の誰でもない、あなたが聞いてるから、弾いてるから、感じてるから、
音楽は生きる!